Monday, September 21, 2015

ドゴントレッキング

2015/SEP/16-18
Moptiから二泊三日のドゴントレッキングに向かった。250EURO. CFAのほうが言い値がお得なんだが、もうめんどくさいことになったんでユーロで払う。

Teleli から Sanga までのトレッキングで歩く距離自体は大したことないが暑いし汗を尋常じゃなくかくしで水が持参したのでは足りなかった。砂浜の砂のように歩きにくい道に、橋のない小川の渡河を6回強いられた。まあ膝下なの2回だけだったけどそれならそれなりにしてきたのに。

初日の朝、モプティからセバレの空港そばの交差点の屋台みたいな店が並ぶところで朝食。これはいきなり厳しいんじゃないかなというところ。ガイドは日本人に人気と自称そしてホテルの人も他称してたが、利用した日本人どんだけ旅行者レベル高いんだよ。まあ食うけど。



そこからバンディアガラまでがまた単車ニケツで遠くて辛い。一人でもタクシーを要求したい。そんなにケチケチ安く行きたいんじゃないんだよね。

バンディアガラの交差点で面白イベントが発生。ポリスに止められて一時間足止め。雨も降ってきたりしていい感じ。ポリに逆らうのはよくないので、持参の本を読み始め今日は目的地につけるかなあ。いくらぐらい払うんかなとか思いつつ書籍で continuation について少し学ぶ。かなり読み進むとパスポート見せろと呼ばれていってからしばらくしたら解放された。かなり車止めていたんだけど基準はなんだ。なお彼は最終日にバンディアガラ出てしばらくの路上で上司と検問していた。rebelな人たちそれだけいるってことかな。けど行きの時の呼び止めてた基準見てても不明だ。



バンディアガラで雨宿りしてからダカという崖の上の場所まで行くんだが、スピードアトラクションとしては面白いけど時間が長すぎて体が痛い。落ちないようにいい姿勢が取りにくい。だが、ここら辺は四駆でないとダメだろな道だ。
たまたますれ違った四駆に西欧人の旅行者が載っていた。マリに来てから2人目に見た旅行者だ。

ダカはなんか一軒だけ家があってそこで車とかの番をしたりしてる家族が住んでる感じ。そこからティレリへ崖を下る。この断層や地層見ながら降りるの楽しいね。だが汗だくに。


下についたら昼飯。3時半まで休憩。飯はパスタ。土産物どうだと見せられても埃かぶりっぱなしがデフォルトなんだな。まあ、三年近く観光客あんま来てないからかもしれない。

パスタはグッテリ煮込んだ感じだが、中世とかはそうやって煮込んだという話なんでそのまま植民地にも受け継がれて今に至るんだろう。南米とかもそうだったし。

暑いから風通しの良さそうで日陰を求めてうろつくが、ガイド氏とこの飯食ってるウブラージュの家族がいる部屋ん中が実は涼しいということはないか?と考えるが部屋の中風ないしな。扇風機がある可能性があるのを最終の宿で知った。まあそんなのはいいんだか、遠目に人々の生活と村の建物見て過ごす。

歩くと普通に農村の道みたいな感じで黍かなんかが両脇に実っていてトウモロコシ畑歩いてるみたいだ。ただしめちゃ暑。

橋がないのが基本でその後五回渡った。

畑とモスクと家畜見ながら進んで一日目は終わり。

暗くなるギリギリ前の5時半ぐらいにシャワーを済ませる。明るいうちに色々しとかないと暗くなってからだと不便なんだよね。

日が暮れてから食事が出て、天の川を、眺めながら食う。ヘッドライトに虫がたかるのが思わぬ問題だった。頭につけずに脇において使う。
夜暫くすると崖の方の村でなんか祭りやってんのか歌がずっと続いている。最初はマスクダンスとかのアレンジしてもらったの見てる人がいるのかなと思ったが、深夜まで続いててさすがに違いそうだ。そして今は観光客はほとんど来てないんだよな。ここら辺のツーリストは俺だけだろ?
ということで、マスクダンスは祭りでもないし、俺一人のためにアレンジしてもらってもなと思ってやめたが、なんか数時間歌が続いてたのを楽しみながら寝る。夕方はるか北の方で雷が光つつ天の川見てたんだけど、横になってから風が強くなってきて、あ、こりゃ雨か屋上に寝てたんで屋根の下に回避だな、と心の準備してたら星が見えなくなったのは束の間で雨も降らず風と雷だけ振りまいて通り過ぎた。その間も歌が続いていて雷雲の召喚の呪術みたいな演出だなと思いつつ、崖の二百メートルぐらいの高低差で雨雲そんなに崖側に寄れないのかなとか考えていたが、次の日たまたま雨の範囲に入ってなかっただけだとわかる。
イベントはまだ続き、iPadで本読んでたら南京虫が画面の上歩いてんですけど。ぎゃー。発見した2匹ほど潰し、マットレスとシーツを放棄し屋根直に寝る。ひい。朝、カバンに忍んでないか荷物バラし、確認する。家まで持って帰った時があってえらいことになるんだよね。

次の日は昨日歌が続いていた崖の上の村の方へいく。ここはアミニズムが残ってる村のようだ。集会所みたいなところが現役の場なので写真撮ると高い金取られるらしいが、そこに外国人が入ってもOKなのがいいね。彫刻とかこういう場所で方や神話とか話す時のモチーフとしておいてあんのかな。どう見ても手を潰す刑の彫刻あるんですけど。しかしどこでもみんなコラナッツ欲しがるね。
一通り村あるいたら黍畑の農道を歩いていく続き。上を向いて歩いた方が景色がいいがどうしても暑いし砂がちの道でしんどいのでうつむいて歩く。

ペットボトルの水が切れたのでお湯を冷ましたのを空きペットボトルに入れて飲んでたが、ペットボトルガラ売ってる家があった。しかも冷えてる!電気来てんの?ソーラーだけで駆動できんのこれ?まあ買う。瓶のコーラもあるので買う。すげえうまい。甘いの一日程度取らないだけでこんなにうまいと感じるのかよ。
そこでは猿に見えなかったけど猿の心臓の肉を焼いたの食わせてもらった。お土産の部屋も案内されたが更新されてないというか掃除してないというか。あんまりこれだというのもないし。

川を渡るところが1箇所2箇所程度で靴履いたまま行けたんでよかった。今日の宿は別に予約してるわけではなく、着いてから空いてなかったりしたら別のところ使う感じのようだ。この客数で空いてないなんてありえないので、多分休業状態で外国人向けになんか買い足すのすぐには無理とかそういう感じだったんだろう。そんなわけでサンガの滝のよく見える宿へ。宿って書いてないけど利用してる地元の人もいたので宿。下の方にホテル・レストランと書いてあるところはやってないの?


こういうのが、観光客むけの意匠としてじゃなくて生活に生きてんのが一応まだ多いのかな。


ピグミー住んでたの12世紀でしたか。すんません。勝負は九百年前に済んでいた。しかし、あとから来た方も屋渋滞作で上に住んでたというから遠目じゃ家の大きさわからんので区別付かん。ただ、崖の歩いた10キロに渡って断続的に崖の家があるからどんだけ大変なところにそんなたくさん住んでんだよと。グルジアの穴の都市は何万人とかだったからここも居住地の広さでいけばそんぐらいいけないか?などと妄想。当時水と栄養が確保できるかは知らん。



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