Saturday, September 26, 2015

バマコで送る郵便

2015/SEP/23
YA PAS DE PROBLEME のルームキーバマコまで持って来ちゃったんで郵送して返すことにした。ちゃんと届くかは知らん。
宿から出て、糊を道すがら手に入れて、封筒は金の入った封筒使って持って行ったが、まず窓口違うと言われあっちへ。というか人のいる窓口3つしかないよ。


で、あっちに持ってったら封筒に入れろと。ええとこれじゃダメ?入るときにここにも店あるじゃん、多分足りないもの買えるだろうと踏んだ店へ行くと案の定あった。



50CFA. そして宛名描こうとすると、さっき郵便局に入る前に(記念か収集向け)切手がどうこう言ってたおっさんが代筆屋だった。宛名をそれなりに書く。くぐってフォーマットに従って書いたんだけど、字体が違う。あと書く場所。ふーん。代筆屋って役立つね。俺もこの場合字書けないのと同じだしな。1000CFA. 買った封筒はテープが付いていて糊要らんかった。警備のおっさんも世話焼いていろいろ付いてきていらんのになんかやる。あーこれもチップ払うんだろうな。代筆屋の料金が1000CFAだからそんなに必要ないよな。とか待ってるときに考える。お釣り探して郵便局の事務のおばさん駆けずり回ってるよ。なんでないの。なんで利用者側がピッタリ用意せんといかんのだ!用意するのいいけど最終日だから手持ちの額も種類もないんだよ!

それはともかく切符もらったら一旦窓口離れて代筆屋のおっさんに渡すと切符なめて貼る。久しく見てないなと思いつつ、今度は消印もらいにまた同じ窓口行けと。
消印をもらい、また窓口から封筒返してもらい、今度は局内にあるMaliがdestination のポストへ投函で完了。世話焼いたケービのおっさんにコインのゼニ渡して終了。

窓口のおばちゃんは何やら内容物をゴワゴワ触って確認していたが、やはり紙じゃないと高くなるのか。確認してないけど雰囲気がそんな感じ。

まあ、これもかいてるいまSEP26は、まだポストの中か、もう送られているか。


Thursday, September 24, 2015

パリで買うマラロン

パリで意外と簡単に買えた。最初に目に付いた薬局に入ったらあった。マラロンは高いのでジェネリックを出されたが、ジェネリックでなくても円安考えても日本のより安いよ。

最初にマラロンといったのにマラロンの製品名じゃないの出すからなんだと思ったらジェネリックと説明された。同じ有効成分。

買ったところは北駅そばの場所で朝早くから空いてたから入ったんだけどサクッと風邪薬買うみたいに買えた。

次回からはパリで一泊してから行こう。二万円ぐらい薬代が浮き、宿やすいとこ取れれば旅行日数減るけどもいいかな。長期旅行者だったら気にならないだろうけど安く済ませるためヨーロッパ経由しないかな。

バマコの国際空港出国編

2015SEP23

空港内で出国してからもセーファーを使える店がいくつかある。お土産屋や喫茶店に、VIPラウンジ。また、野良両替屋が歩いている。空港内にいるから野良ではない。かな。

空港でタクシーから降りると勝手になんか書類を書いてくれて金を取る。自分で書けば必要ない。両替屋も端数ざっくりなレートなので少ないセーファーだとレートがめちゃ悪になる。

荷物検査は空港で行ってそうなのが2回空港に入るときと出国後ラウンジに入るときのがあるが、簡単に通る。しかし、登場前にもう一回厳しいのがある。これが噂のそれかよ!

ヌルい旅行者の俺にはレベル高すぎだわ。

バマコの街中も空港もUNたくさんいるけどなんで?北部はまあわかんないこともないけど。

空港までのタクシーで渋滞してて、なんか工事してんのかと思ったら、バイクが事故ってた。やばいんじゃないかと思う交通事情だったけど、やはり事故るのね。メットかぶる人いないからさらにやばいね。


そしてそうこうしてると雷の中飛び立ちパリへ。

Monday, September 21, 2015

ドゴントレッキング

2015/SEP/16-18
Moptiから二泊三日のドゴントレッキングに向かった。250EURO. CFAのほうが言い値がお得なんだが、もうめんどくさいことになったんでユーロで払う。

Teleli から Sanga までのトレッキングで歩く距離自体は大したことないが暑いし汗を尋常じゃなくかくしで水が持参したのでは足りなかった。砂浜の砂のように歩きにくい道に、橋のない小川の渡河を6回強いられた。まあ膝下なの2回だけだったけどそれならそれなりにしてきたのに。

初日の朝、モプティからセバレの空港そばの交差点の屋台みたいな店が並ぶところで朝食。これはいきなり厳しいんじゃないかなというところ。ガイドは日本人に人気と自称そしてホテルの人も他称してたが、利用した日本人どんだけ旅行者レベル高いんだよ。まあ食うけど。



そこからバンディアガラまでがまた単車ニケツで遠くて辛い。一人でもタクシーを要求したい。そんなにケチケチ安く行きたいんじゃないんだよね。

バンディアガラの交差点で面白イベントが発生。ポリスに止められて一時間足止め。雨も降ってきたりしていい感じ。ポリに逆らうのはよくないので、持参の本を読み始め今日は目的地につけるかなあ。いくらぐらい払うんかなとか思いつつ書籍で continuation について少し学ぶ。かなり読み進むとパスポート見せろと呼ばれていってからしばらくしたら解放された。かなり車止めていたんだけど基準はなんだ。なお彼は最終日にバンディアガラ出てしばらくの路上で上司と検問していた。rebelな人たちそれだけいるってことかな。けど行きの時の呼び止めてた基準見てても不明だ。



バンディアガラで雨宿りしてからダカという崖の上の場所まで行くんだが、スピードアトラクションとしては面白いけど時間が長すぎて体が痛い。落ちないようにいい姿勢が取りにくい。だが、ここら辺は四駆でないとダメだろな道だ。
たまたますれ違った四駆に西欧人の旅行者が載っていた。マリに来てから2人目に見た旅行者だ。

ダカはなんか一軒だけ家があってそこで車とかの番をしたりしてる家族が住んでる感じ。そこからティレリへ崖を下る。この断層や地層見ながら降りるの楽しいね。だが汗だくに。


下についたら昼飯。3時半まで休憩。飯はパスタ。土産物どうだと見せられても埃かぶりっぱなしがデフォルトなんだな。まあ、三年近く観光客あんま来てないからかもしれない。

パスタはグッテリ煮込んだ感じだが、中世とかはそうやって煮込んだという話なんでそのまま植民地にも受け継がれて今に至るんだろう。南米とかもそうだったし。

暑いから風通しの良さそうで日陰を求めてうろつくが、ガイド氏とこの飯食ってるウブラージュの家族がいる部屋ん中が実は涼しいということはないか?と考えるが部屋の中風ないしな。扇風機がある可能性があるのを最終の宿で知った。まあそんなのはいいんだか、遠目に人々の生活と村の建物見て過ごす。

歩くと普通に農村の道みたいな感じで黍かなんかが両脇に実っていてトウモロコシ畑歩いてるみたいだ。ただしめちゃ暑。

橋がないのが基本でその後五回渡った。

畑とモスクと家畜見ながら進んで一日目は終わり。

暗くなるギリギリ前の5時半ぐらいにシャワーを済ませる。明るいうちに色々しとかないと暗くなってからだと不便なんだよね。

日が暮れてから食事が出て、天の川を、眺めながら食う。ヘッドライトに虫がたかるのが思わぬ問題だった。頭につけずに脇において使う。
夜暫くすると崖の方の村でなんか祭りやってんのか歌がずっと続いている。最初はマスクダンスとかのアレンジしてもらったの見てる人がいるのかなと思ったが、深夜まで続いててさすがに違いそうだ。そして今は観光客はほとんど来てないんだよな。ここら辺のツーリストは俺だけだろ?
ということで、マスクダンスは祭りでもないし、俺一人のためにアレンジしてもらってもなと思ってやめたが、なんか数時間歌が続いてたのを楽しみながら寝る。夕方はるか北の方で雷が光つつ天の川見てたんだけど、横になってから風が強くなってきて、あ、こりゃ雨か屋上に寝てたんで屋根の下に回避だな、と心の準備してたら星が見えなくなったのは束の間で雨も降らず風と雷だけ振りまいて通り過ぎた。その間も歌が続いていて雷雲の召喚の呪術みたいな演出だなと思いつつ、崖の二百メートルぐらいの高低差で雨雲そんなに崖側に寄れないのかなとか考えていたが、次の日たまたま雨の範囲に入ってなかっただけだとわかる。
イベントはまだ続き、iPadで本読んでたら南京虫が画面の上歩いてんですけど。ぎゃー。発見した2匹ほど潰し、マットレスとシーツを放棄し屋根直に寝る。ひい。朝、カバンに忍んでないか荷物バラし、確認する。家まで持って帰った時があってえらいことになるんだよね。

次の日は昨日歌が続いていた崖の上の村の方へいく。ここはアミニズムが残ってる村のようだ。集会所みたいなところが現役の場なので写真撮ると高い金取られるらしいが、そこに外国人が入ってもOKなのがいいね。彫刻とかこういう場所で方や神話とか話す時のモチーフとしておいてあんのかな。どう見ても手を潰す刑の彫刻あるんですけど。しかしどこでもみんなコラナッツ欲しがるね。
一通り村あるいたら黍畑の農道を歩いていく続き。上を向いて歩いた方が景色がいいがどうしても暑いし砂がちの道でしんどいのでうつむいて歩く。

ペットボトルの水が切れたのでお湯を冷ましたのを空きペットボトルに入れて飲んでたが、ペットボトルガラ売ってる家があった。しかも冷えてる!電気来てんの?ソーラーだけで駆動できんのこれ?まあ買う。瓶のコーラもあるので買う。すげえうまい。甘いの一日程度取らないだけでこんなにうまいと感じるのかよ。
そこでは猿に見えなかったけど猿の心臓の肉を焼いたの食わせてもらった。お土産の部屋も案内されたが更新されてないというか掃除してないというか。あんまりこれだというのもないし。

川を渡るところが1箇所2箇所程度で靴履いたまま行けたんでよかった。今日の宿は別に予約してるわけではなく、着いてから空いてなかったりしたら別のところ使う感じのようだ。この客数で空いてないなんてありえないので、多分休業状態で外国人向けになんか買い足すのすぐには無理とかそういう感じだったんだろう。そんなわけでサンガの滝のよく見える宿へ。宿って書いてないけど利用してる地元の人もいたので宿。下の方にホテル・レストランと書いてあるところはやってないの?


こういうのが、観光客むけの意匠としてじゃなくて生活に生きてんのが一応まだ多いのかな。


ピグミー住んでたの12世紀でしたか。すんません。勝負は九百年前に済んでいた。しかし、あとから来た方も屋渋滞作で上に住んでたというから遠目じゃ家の大きさわからんので区別付かん。ただ、崖の歩いた10キロに渡って断続的に崖の家があるからどんだけ大変なところにそんなたくさん住んでんだよと。グルジアの穴の都市は何万人とかだったからここも居住地の広さでいけばそんぐらいいけないか?などと妄想。当時水と栄養が確保できるかは知らん。



ドゴン ソンゴ

2015/SEP/18
ドゴントレッキングで動物の絵とか書いてあるところ全然訪れないと思ったら、崖のほうじゃなくてバンディアガラからセバレ寄りのほうの村々での風習だった。下調べもガイドブックもろくにしてないから見れないのかとドキドキしたよ。
トレッキングを終えてSangaからきつい単車ニケツを経て、Songoについた。
ここよりもっとセバレ寄りのところからドゴンカントリーらしいので意外と広いね。けど言語地図でドゴンの言語は崖周辺で細長かったんだけどそんなもんなのか。

結構新しいなと思ったらまだまだ現役の風習で、5年に1回書き換え、3年に1回イベントしてるらしい。

おお、しかし村にはモスクもあるよ?ドゴントレッキングもそうだったけど、そこかしこにモスクがあってアミニズムの村はあんま残ってないの感。
キリスト教もあると言ってたけど教会は見なかったな。


ペイント見れて満足。

トンブクトゥ2015/SEP/19

モプティからトンブクトゥへ大枚を叩いて一人で4WDをチャーターしていった。一泊二日の強行軍だった。何やら通行のパーミッション取りに警察にも行きなんかそこのセクションの偉い人の電話番号のリストを渡されなんか問題が起こったらここへとか言われた。そんなおおごとですか。(安全を)保証するわけではないんだみたいなこともいわれた。
朝5:00にモプティを出て、トンブクトゥのホテルコロンブスへ着いたのが午後4:30。時間かかりすぎだ。帰りは朝5:00にトンブクトゥのホテルコロンブスを出て、モプティのYA PAS DE PROBLEMEに着いたのが20:30。ええ!
実質見て回れたのは3時間ぐらい。日のあるのは2時間もなかった。まあ外から眺めるだけの旧市街の見どころ全部回るのは余裕だった。ガイド付きだったし。ガイドなしで暗くなってからもう一度回ったが、街頭ない路地が多く参った。数百年前の世界中の街はこうであっただろうか。とか考えつつ巡る。
トンブクトゥの街へ来て驚いたのは、街の防衛の本気度がよそと違う。検問はマリ中あるが、ここはちゃんと障壁作ってるし、すぐ裏に構えている人数が数人じゃない。キャンプ張ってる。来る途中のBanbara Maoudéも土塁作ってまじかよとか思ったがここは規模が段違いだった。また、通行制限もかけていて、夜はいつからかは知らないが、朝は6時からしか通れない。徒歩もダメ。これのせいで朝5時に張り切ってモプティに向かったのにほぼ一時間足止め。そして街には軍の駐屯地もあるけど鉄条網が壁の周りに張り巡らせてあってこれまたセバレとかと趣を異にする。検問も車の中までチェックするし、よそでもすることもあったがトンブクトゥの方が細かい。かなり神経質になってる。
ホテルの人には反政府勢力に捕まったらどうしようとか言ってみたら、そんなのないないとか笑われたので、行われていることと一般意識の差が大きい。実際3年前以降は何も起こっていないんだろうからそんな認識になるんだろうし、蠢動してるからか、見せる警備かかで厳しめに高度してるのかもしれない。けど国連の装甲車とかニジェール川渡ってるの会いましたが。行きと帰り。

で、なんで帰りの日の時間が大幅に遅れたのかというと、大きな要因は3つある。一つは朝6時まで街からでれない入れない。もう一つはニジェール川をモプティにら戻る方で渡る時にあさ6時半頃には船着き場についていけると思ったら、あとから来た軍の団体さんが割り込んできて、渡し船一往復損。9:30頃やっと対岸へ着いた。最後のは道に迷った。幹線道路が土なんでどろどろだったりするの嫌って取った脇道が大きく幹線道路から外れて一時間ぐらいぐるぐるしていた。雲の形見れば数分ぐらいは方角固定できるだろうに何回転してるんだ!あと手元にググるマップがあって、何やってんのドライバー?な感じだったので教えようとしても片言のフランス語ではイマイチ通じないのでもう好きに運転させた。地元の人に二回聞いて降り出し位置へやっと出た。いやだからこう行けばもっと簡単にもっと先へ出れたのに。
北からだとBambara Maoudéに近づくと道がましになってぶっとばせるんだけどNgoumaの方を経由するルートとったんで、みんなが通った道が道になるみたいな道でこれまた時間がかかる。Ngoumaから南はましだけど、途中が雨季はこれ水の下だろな道なんだけどそんなもんなの?乗り合いタクシーみたいな四駆が移動してたけど雨季も交通あるのかな。なんでDouentza経由しなかったかは不明。

トンブクトゥの観光客は俺以外は多分いない感じだった。ホテルでは嘘か真かここ三年半でお前が初めてだと言われるし、ホテルは開店休業状態で俺以外は隣の部屋に誰かもう一人いるようだけど多分マリの人とかだし、トンブクトゥ最高のリビアホテルとやらは客こないから休業中というし。ホテルコロンは事件が起こる前は日本人だらけみたいな物言いだったけどみんなそんなにトンブクトゥ好きなのか。そういや俺も砂漠渡って地中海側へ出るのかその逆やりたかったなあ。

トンブクトゥの観光自体は特に危険というわけてもないので、空路かニジェール川経由で船でモプティとかから来るといいと思う。陸路は思いの外高かったのでそれだけ払うなら空路か船のほうがペイする。陸路はDouentzaより北の警備の仕方が尋常じゃない感じなので避けたほうが無難だと感じる。別に移動して会ったりすれ違ったりした人たちがひゃっはー異国人だキッドナップだとかじゃなく、田舎の人のいい人たちそのまま。むしろ暴れてる人達の拠点はどこよ?という感じ。
地元民を乗せて移動する四駆乗り合いタクシーは北にも南にもひんぱんに走っていたので乗ることができれば安く行けるかもしれない。ただチャーターした四駆も観光客はDouentzaの検問で追い返される可能性があるらしい。

それに陸路オススメしないのは車のスタックや故障で意外と時間食う。故障車があるとみんな止まって助ける。俺の雇ったドライバーがこの車に工具供出したまま移動してたし、移動するドライバーの仁義みたいなものかな。俺も押し上げるの手伝ったよこれ。けど治るの?
我が四駆も多分にもれず何度かトラブルで止まったけど、ニアンガイの湿地あたりでヒューズとんだ時にバッテリーを疑ってたので通りすがりのトラックがわざわざ外して持ってきて試させてくれた。日本のようにいい工具なんて積んでないのでそんな風にしている。バッテリーじゃないとわかってヒューズとんだと疑いビンゴだったんでドライバーが直した方法が導線少し切り取って飛んだヒューズ部分短絡させてた。いいのかよ。ヒューズなんのためにあるのか問いたいが、俺もこんな次の車来るの見込みがないところで立ち往生したくない。
車のモプティトンブクトゥ移動はトラブルイベントを経験したら話の種できたと思うぐらいでないと厳しいと思われる。ああ、今日はあそこの村で野宿かな、とか。



Tuesday, September 15, 2015

from Bamako to Mopti

2015SEP13

バスのラジエーター交換で3時間途中のどっかで修理して、07:00発23:00着で散々だった件。

朝6時にホテルを出ると予想外に待ち構えていたガイドだが、バスターミナルまで50000フランというので無視してタクシーを拾いにでるも口挟んでくる。で、タクシー乗って降りたらそのガイドがバイタクで先回りしていた。はあ?しかもメインのバス停じゃなく離れた方にあるところだったが。良さそうなバスの当日分はなかったので別のBittarになったんだが、Baniとかどこよ?とおもったら、バスに乗ってしばらく進むとメインのバス停があった。余計な世話したガイドに金を要求されてまあ払う。意味ワカンね。バスドライバーにも余計な金払わせられたが、検問の件を考えるとありかな。

だが、それよりなによりセグーを出てかなり経った時にラジエーターの水が100度になって水入れ直すを何回か繰り替えた後に、ついにバス会社の出先の場所に止めて修理開始。俺ここがどこだか知らんし。バス乗り換えるにもさっぱりわからん。

このラジエーター外してどこかに持って行き直して付け直すまで3時間。
途中で2台ぐらい路上で修理しているバスもあったから街中で修理したんで屋根の下に居られるし、ジュースも買えたんでマシだったのかもしれない。

not found?

ここら辺で往生中。


しかし23:00頃についてもバイタクとかいないし途方にくれる。こんな時間につくバスないんだろな。もしかしたら gare de routiere の方にはいたんだろうけど初見でわかるか。
おっさんに頼んでよんでもらう。

Ya pas de probleme は真夜中道知らないで行くのは無理だった。標識あるけど気づかないはあれ。

そして真夜中に着いたのにガイドの押し売りがきた。多分ホテルの人が知らせたんだろうが。眠いんだけど後にしろよ。と思いつつ少し話す。
眠いんで切り上げねる。

ドミの部屋に誰もいないし観光客ほんと少ないね。最新のロンプラにはマリのページ行くな以外のことないからな。

ジェンネの月曜市

2015SEP14

モプティから朝乗り合いバスに乗って行った。席+1の人数の列に押し込まれ3時間近くケツ痛かった。隣の人もきつかったであろう。
幹線道路から逸れてからも随分時間かかった。また、一度車を降りて川を渡し船で渡るのが面白い。橋かけないの?堤防みたいな道はガツンと作ってるけど。

渡ってからもう一度乗り込んでしばらく行くと泥のモスクの目の前の場所へ着く。今日は月曜市なので人がいっぱいだ。降りたら早速ガイドが客引きにやってきた。適当にあしらう。
モプティやセバレからもここに何かを買いにあるいは売りに来てる人がいたので重要なイベントなのだろう。何しろ直線距離で77kmで早くて3時間だし。行きは山羊1匹載せて行ってたが、帰りは三四匹乗せてて途中降りて行った。山羊の取引している通りは山羊だらけだった。
自転車の部品とかあったりするのは意外だった。
特徴的な帽子かぶってるおっさん結構いるなと思ったら売ってた。

昼頃帰るかと決断してモプティまでのバスチケット買ったが案の定定員になるまで出ないシステムだった。二時まで待つことに。で、モプティに着いたのが6時。日が沈むよ。勘弁しろよ。
帰りは検問で警察がパスポートやIDカード持ってって何調べんのかしらんが、バスの運転手が金出せと言うのでID取られた人が全員出してしばらく後に出発。全員分のIDじゃないのはなんで?
後に検問が何箇所もあるんだけど、そのうち1箇所撮ってたら写真撮ったの見咎められてなぜミリタリーをとったんだとフランス語で言われてもun peuしかわからん。なんかめんどくさいことになりそうだったがその中の偉い人に説教されて解放される。検問はミリタリーなのかよ。ミリタリーもいたけど。
散々だったがジェンネの月曜市も観れたし満足。